須藤本家は明治18年に創業しました。当時は河川が重要な物流経路だったため、現在の酒蔵の場所から3kmほど離れた小櫃川の川沿いで酒造りをしていました。
明治の半ばになると現在の君津市の周辺で上総掘りの井戸が開発され、そこからくみ上げる水がおいしいと評判になりました。酒造りは仕込み水で味が決まるといわれており、当時4代目(現・当主の父)は良質な日本酒を造るため、よりよい水を求めて土地を探し歩いていました。そこで出会ったのが艶やかな水が湧き出る地、久留里の天乃原(てんのはら)です。地下500メートルから自噴する久留里の水は当主を魅了しました。手にすくい上げた水は真夏の灼熱の太陽の光を浴びてなお冷たく透き通っています。口に含むとまろやかな口当たりで、ミネラル感があり、すっきりした余韻続きます。「日本一の清酒を造るにはこの土地しかない」と当主は天乃原への移転を決意します。
移転した直後に関東大震災が発生しました。移転前の土地は水害で深刻な被害を受けましたが、その直前に麹を高台に位置する久留里に運び出していたため、奇跡的に酒造りを継続することができたといいます。こうして造られたお酒は滋味あふれる豊かな水のある土地の名前にちなみ「天乃原(あまのはら)」と名付けました。「天乃原」は全国的に高い評価を受け、全国新種鑑評会で金賞を受賞しました。
須藤本家には「酒造りは事業にあらず、家業なり」という家訓があります。現在の当主、須藤正敏は代々続く酒造りを後世に引き継ぐため、2012年より自ら酒造りに携わり、先進的な研究を行うようになりました。そして千葉県でも数少ない焼酎の醸造にも積極的に取り組むようになります。先祖代々受け継がれてきた伝統の技術と当主の独創的な発想を融合した酒造りの始まりでした。当主の作り上げる酒は高く評価され、稀代の酒の造り手と言われるようになりました。
久留里は上総掘りで掘削された自噴井戸が約200か所存在しています。久留里の地に点在している井戸は地域の人々の生活に溶け込み、日々の料理や入浴に使用されています。
大深度(地下400メートル~600メートル)から自噴する久留里の水は、豊かな土壌菌を含む「生きた水」です。この水の美味しさが評価され、環境省の選定する「平成の名水百選」に千葉県で唯一選ばれました。やわらかな口当たりとスッキリしたのど越しの久留里の水は、他の地域の人々にも愛され、遠方から訪れて井戸で生活水を汲んでいる姿もよく見かけます。
久留里の水は須藤本家の敷地内からも豊富な水量で湧き出ており、須藤本家が手掛ける酒の仕込み水として使用されています。洗米、醪仕込み(もろみじこみ)はもちろん、仕込みタンクの清掃にいたるまで、すべての工程に自噴する水を使用しています。須藤本家の代表銘柄「「天乃原(あまのはら)」にも、まろやかですっきりとした久留里の水の味の特徴がよく表れています。
須藤本家では明治18年から続く酒造りの伝統を守る一方で、常に高品質で安定した酒造を行うために、先進的な設備の導入を積極的に行っています。
常においしい酒を造るために必要と判断した設備は入れ替えを行い、手作業が必要な場合はあえて手作業の工程を残しています。最近では米を仕込んでできたもろみから酒粕を取り除く自動圧搾ろ過機に最新式のプラスチック板を取り入れました。これによって金属臭などによるえぐみが消え、雑味が取り除かれた透明感のある味を作り上げることができました。また、最新の酸度計を導入し、常に安定したおいしいお酒の提供を追求しています。
須藤本家では、酒造りを一人でも多くの方に知っていただくために酒蔵を一般に開放しています。それぞれの工程に詳しい説明を記載したパネルを取り付けた酒蔵には連日多くの人が訪れています。須藤本家がこだわる伝統と革新の取り組みをせひご覧ください(要事前連絡)。
「その土地の特産物から今までにない日本酒を作りたい」。地域活性化の一環として、その土地ならではの酒造りへの取り組みが増えています。
お酒の華やかな香りをつかさどる酵母は良質な酒を造るための大切な役割を持っています。しかし新しく作られた酵母は安定しないことが多く、高い品質の酒を作るのは極めて難易度が高い仕事とされてきました。
須藤本家では地域活性化の担い手として、多くの蔵元がためらう新しい酵母によるお酒の開発にも意欲的に取り組んでいます。困難な課題にも果敢に立ち向かい、常に研究を続けることで醸造不可能とされてきたお酒の開発に成功してきました。こうした実績を積み重ねることで全国各地の人々とのつながりでき、そのつながりがさらに新しい酒造りの可能性を切り開く原動力となっています。